
上芝 英司
ueshiba eiji
遊び心とアイデアで人を巻き込み、言葉と思考で道を照らす人。
1979年大阪豊中服部生まれ、A型乙女座ヒゲメガネ。
服部天神駅東側タクシー乗場横、地域のお茶の間「喫茶ピーコック」店主。
最新情報はこちら
経歴
background
15歳の時「終わらない歌/ブルーハーツ」をギターで弾けたことからバンド人生が始まる。ごく普通の高校に通いながら、バンドとバイトに明け暮れる日々。途中からはドラムも始め、器用貧乏に磨きがかかる。学年最下位をマークしつつもわりと充実した学生生活を送り無事卒業。
卒業後もバンド活動を続けるが、ある体験をキッカケに自分の中身のなさに気付き、バンドを辞め、工場で働いたりヒッチハイクで旅したりと放浪の日々が続く。22歳の時に目を怪我したことで地元に戻り、ライブハウスで働き始める。イベント企画やチラシデザイン、打ち上げの段取りや名刺交換を覚える。25歳の時、ほんの少しだけ悟りを開き、家業を継ぐ決意をする。
3代目店主として地元にどっぷり浸かり、おじさんおばさんじいさんばあさんと共に吉本新喜劇やじゃりン子チエのような毎日を送る。
昭和レトロな喫茶店にカフェのようなニュアンスを少しづつ足していき、「どちらかと言えば喫茶店かな」という絶妙のハイブリッドを生み出す。
10年ほど真面目に取り組んだ後、突如店を飛び出し、地域イベントを仕掛けたり商店会をまとめようとしたりする。バルイベントやフリマ、雑貨マルシェや野菜市などひと通り企画する。それだけでは飽き足らず、隣町や市内全域にちょっかいを出し、2016年「豊中こどもれもねいど」がスタート。農業のことは何もわからないまま、子供たちを集め、畑を行き来したり休耕地を耕したりし始める。
気がつけば、地域農業や地域経済、ブランディングやコミュニティについて語る人になっていた。それからは地域で活動する個人や団体と関わったり、単発でイベントを仕掛けたり。音楽から農業、映画上映会やマンションの管理人など、日々七変化。
その頃の合言葉は、「飛んできたボール全部打つ」だった。
2018年に入り、「まち」を自分で作ってみようと「くじゃく町会議」を連発。小さな文化経済生活圏、共有と分配のコミュニティなど流行のワードを連呼。その勢いに乗って「貨幣経済を終わらせる!」と宣言し途方に暮れるも、好奇心の強い人たちが周りに集まり始める。
39歳になったのを機に「これからは暇人の時代や!」と言い放ち、「暇の創造と可視化」という意識が高いのか低いのかよくわからないテーマを掲げる。同時に”一生懸命を笑え.net”もスタートし、マイウェイに磨きがかかる。暇を活かして、企画会議に参加したり、コンサルしたり、セミナーに登壇したり。2019年には「豊中こどもれもねいど」も終了し、いよいよもって隠居生活が始まる。
「男は40から」という言葉を信じ、オンラインサロン&シェアリビング「亜論茶論」に力を入れだす。小さくても確かな手触りのある関係性、あらためて「小さな文化経済生活圏」に重きを置く。喫茶店をしながら日々を文章で綴り、たまに集会を開いたり相談に乗ったり応援したり。
2020年7月、コロナウイルスが蔓延し世の中に自粛ムードが漂う中、かねてより温めていた「くじゃく町」をついに発動。オンラインサロンの発展形、インディーズSNSのような仕様でオンライン生活協同組合を発足させる。ちまちまと文章を書きながら、創造・融通・交換を合言葉に独自の経済圏を構築。
コロナ時代の空気感に何だか嫌気がさし、より内側に意識を向けだすマインドフルネス。価値観や哲学・美学に重きを置き、独自の視点や思考で時代をサバイブする。
2021年、ブログやSNSでの文章が功を奏し、相談が増えてきたのに味をしめ「うえしば相談室」を開設。事業や活動、人間関係やメンタルなど様々な相談が舞い込む。
2021年9月、42歳になったのを機に「町にいつもいるふわっとした偏屈おじさん=アーバン僧侶」を加速させるため、気づきと癒しのオンライン駆け込み寺「うえしばえい寺」を建立。しかしながらそのあまりにも偏った世界観が故に世間に相手にされず、すかさず「△KIBOU Lab.」に差し替える。
ところがどっこい今度はあまりにも凡庸なネーミングで埋もれてしまい、七転八倒悩んだ挙句、「そういえば喫茶店って昔はサロンみたいな場所だったよな」と、幸せの青い鳥 IN MY HEADだったことに気づく。
2023年、駅前の路地に佇む小さな喫茶店「ピーコック」を営みつつ、地元の仲間と「一生懸命を笑いあえる」世界をつくることを決意。
喫茶ピーコックのファンクラブ「ピーコックラブ」や、服部界隈のローカルライフファンクラブ「ハットリー!」を運営しながら、相変わらず変なことを考えたり文章書いたりしています。