「クラフト○○」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
クラフトビール・クラフトコーラ、最近だとジンやチョコレートもあるらしい。
これは感覚的な話だけど、ここでいうクラフトって「小規模な事業者だと製造が難しかったものを、できる限り”お手製”で生み出したもの」と僕は捉えている。
とはいえ、ビールもコーラも始まりはクラフト(つまり手作り)だったはずだ。
それが当たって(世に受け入れられて)大量生産になり、機械化・自動化が進みまくってどん突きまでぶち当たり、原点回帰としてまた「手作りっていいよね」的にマーケットに返り咲く。
これはまるで限界まで消費されたコンテンツが「クラフト」という記号を注入されてリングに押し戻されたかのように。
いいよもう、休ませてやれ。
ビールもコーラも。
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そんななか、鋼の肉体と強靭な精神を持ったやつがいる。
「クラフトBOSS」だ。
そもそも缶コーヒーというめちゃくちゃな工業製品出身で、人の手をほとんど介していない大量生産の権化のようなやつが「クラフト」という記号をまとい広告で煽り散らかしている。
アルミ缶からペットボトルになったとはいえ、道の駅で売られている味噌や一針入魂の帆布バッグは口を揃えて言うだろう、
「お前、さっき工場から車で出てきたやんけ!」と。
マーケティング的「クラフト」は、人の手仕事さえも記号に変えていく。
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「クラフトインターネット」という言葉があるらしい。
僕らは日々様々なプラットフォームを横断し、アルゴリズムと向き合い、広告をかわし炎上に怯えながら何かを表現したり近況報告をしたりしている。
特定の言葉や表現は削除され、どうやら裏で常に誰かに監視されているようだ。
僕が若かりし25年前はブログにしろBBSにしろ自分の言いたいことを世界中にFAXしてるくらいの自由さがあった。
現代のインターネットは自由なように見えて、実は大きな籠の中ではしゃいでるだけなのかもしれない。
そんな不自由さに対して、 独自ドメインでシェアボタンもなく、広告もつけない。繋がり・広がりにくい代わりに深く掘っていける、「クラフテッドな」ブログがあちこちで始まっているそうだ。
「あなたは〇〇番目のお客様です」「キリ番ゲット!」「相互リンクお願いします!」、、なんとも懐かしい。
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2018年に始めたこの「UESHIBAEIJI.net」は途中でタイトルを変えたものの、当初から写真もテキストリンクもシェアボタンもなく、行間や改行や雰囲気を大切にして綴ってきた。
文庫本のページを捲るような、日々の記録の読み物として。
こうやって文章を綴る内省的な時間が好きだからこそ続いているのかもしれない。アテンションエコノミーからは程遠く、アクセスも稼げないけど僕は気に入っている。
クラフトインターネットの考え方を聞いた時、僕は大きく頷いた。
SNSでは「丁寧な暮らしをバズらせる」だったり「田舎暮らしをプロデュースする」ような風が吹き荒れていて、クラフトBOSSとおばあちゃんの手作り味噌が殴り合ってるような状況なのだ。
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経済的な側面でみれば、生み出したものが何かしらの形で他者に触れ、その価値が交換されていくのは望ましいことだし、規模もそれなりにあり効率も大切な要素だろう。
ただ、それが手を介さず意を介さず爆速で回転していくことには何か違和感を覚えるし、自分では止めることのできないものになってしまう怖さもある。
内省的な時間の中で日々の暮らしを綴る、手を掛けた店で来客にお茶を出す、納得のいく形で丁寧につくる。
大量生産・大量消費よりも、自分の文体や言葉を大切にした手触りあるものを世に生み出したい。
日々の生活に基づいた、手のなかに収まるアルゴリズムがあれば良いのだ。