この先10年を、僕はどう生きるか


 

 

こないだ、ミナミの某路地にあるバーに行ってきた。

10年近く前に友達に連れてきてもらったんだけど、場所もよく覚えてなかったので屋号だけを頼りに周りの人に尋ねたりしながらやっと辿り着いた。

 

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あの時のことは今もよく覚えている。

 

薄暗くて細い路地の壁に張りついたような小さな木製のドアを少し開けると、友達は自分の名前を言った。

 

すると奥から男性の声で、「おお、まぁ、入り。」と聞こえ、中に通された。

 

外よりもさらに暗い店で、4畳半ほどの空間に椅子が4脚と初老の店主がカウンター越しに立っていた。

手元を照らす明かりと、それがはね返るだけの間接照明。変な物語に迷い込んだような場所だった。

 

僕はジントニックを頼み、無駄のない店主の所作を眺めながら友達といろんな話をした。

ひとしきり仕事が済むと店主の昔話が始まり、それはそれは面白くてかっこよく、僕はその夜すっかり彼に魅了されてしまった。

 

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それがふと、こないだミナミを歩いている時に探してみたくなった。

あの夜から全く通わなかったが、なぜかそんな気分になった。

 

記憶を思い返しながら辿り着いたドアをそっと開けると、かつての店主ではない男性が立っていて、僕は事情や経緯を説明して席に着くことができた。

 

ジントニックを頼み、先代の店主の話をすると近所で店を始めたことや相変わらずな人柄だったり、この店の歴史などを語ってくれた。

 

そして翌週、無事にその店主と話すことができた。

 

その店もなかなか暖簾をくぐらせてもらえず、10年前のことやここまでの経緯を説明してやっと中へ通してもらえた。

 

 

メニューもなれけば注文も聞かれない、ただ店主が出してくる酒を飲むという、変な部族に招かれたような状態で日本酒とウイスキーコークを飲みながら、テレビでは若かりしビートルズがAll My Lovingを歌っていた。

 

そんなカオスな空間とさらに磨きがかかった彼の話術にまたしても魅了され、最後はLINEを交換し一緒に写真を撮り、強めの握手をして店を出た。

 

AKBの握手会に群がる推し活勢はこんな気持ちなのだろうか?と、帰りの電車で考えながら。

 

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僕は24歳のおわりに家業を継いだ。

正確には25歳になる10日前だったと思う。

そこから35歳までの10年くらい、喫茶を丁寧にやりながら仕事を覚えた。

 

35歳あたりからは商店会の役や地元のイベント企画、市民活動のようなこともしていたし、喫茶店だけではない世界が僕の目の前に広がっていった。

 

そして僕はもうすぐ、45歳になる。

思い返せば10年ごとに新しいステージというか広がりをみせ、それらが絡みあいながら僕の人生を深く豊かなものにしているのだと思う。

 

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45歳からの10年はサードステージとでも言おうか。

 

一般的には「ミドルエイジクライシス」という中年思春期真っ只中で、僕もそれに漏れず自分の未来について思案したり馳せたりする。

 

時には考えすぎて疲れてしまうし、理想と現実の差に萎えたり、でもまた奮い立たせたりといそがしい。

そんな折に先日の店主との時間はとても救いになった。

 

 

「有名になったらあかん、ごめんで済まんくなる。」

 

「甘えなあかんの、人は。甘えるって大事やで。」

 

「そんなん儲かるだけでぜんぜん面白ないしな。」

 

「後先考えすぎやねん現代は。どかんと大きく構えなあかんね。あかんかったらごめんで済むねん。」

 

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僕はどんな大人になるのだろう。

いま考えていることを形にしながら、いまはまだ見えない景色を見ることはできるだろうか。

 

 

来週、出雲に行く。

再来月は秋田まで行ってくる。

店主との再会やちょっとした旅、新たな出会いや気持ちの変化。

小さなピースが集まってきている感じがする。

 

 

上芝英司のサードステージが助走を始めたのかもしれない。

55歳の僕は10年を振り返って何と言うだろう。

 

そして65歳までの10年に何を見るだろう。

 

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物質的/環境的に満たされているからこそ、機能ではなく意味を求める。

 

「どう生きるか?」と問わないと臨場感が生まれないくらいに耕し尽くされた日常に、僕らは何を見いだすのか。

 

 

何を問い、質すのか。

 

 

とにかく、甘えることだけは忘れないでおこうと思っている。