「努力」という言葉、「がんばる」っていう表現はすごく難しいですよね。
みんなができている跳び箱が跳べなかった時。
テストで平均点に満たなかった時。
他より劣っていたり、満たなかったりすると、周りは「努力しよう、がんばろう」と言うけれど。
本人が手を抜いていれば話は別だけど、人並みの努力をしているにも関わらず人並みに届かない場合、もうそれは“向いていない”んじゃないかと思う。
本人が達成したいっていう気持ちでの自発的な努力やがんばりはあるにせよ、周囲の期待に応えるためだけの努力は報われると思えない。
たとえ「人一倍の努力」をしたとしても、平均点あたりにとまってしまう。
世の中には、自分が苦労して成し遂げたことを、余所見をしながら鼻歌交じりでやってのける人がたくさんいるんです。
同じ山を登ったにも関わらず、相手は息ひとつ乱れていない。
そんな人を僕は何人も見ました。
でもこれは不条理でも何でもなくって。
世の中は凸凹なんです。
そこに角のないツルッとしたきれいなものを転がすから、どこにも引っかからないだけで。
だから何かについて、「努力」で成果を上げるんじゃなくて、「人よりも努力せずに、同じかそれ以上の結果を出せるもの」に特化したほうがいいなぁと。
自分は普通にやってるだけなのに、周りが「え、むっちゃええやん!すごいやん!」って言ってくれるもの。
人の半分の努力やコスト(労力や時間)で相手が満足できるもの、価値を感じてもらえるものを生み出せること。
それがあれば、普通にやっても他人の2倍。
そんな人が「人一倍の努力」をしようもんなら、他人の4倍にもなるんです。
時間や労力、努力や才能を無駄遣いしないためにも、「どこにどれくらい使うか」は自分で決めて、周りと比べないこと。
だから、「とにかくがんばる」とか「人よりもがんばる」っていうんじゃなくて。
まずはできるだけ正確に、自分は「これ」をがんばるっていう、「場所」を見つけることに力を注いだほうがいいんです。