器用貧乏という選択


 

よくあちこちで、「器用ですねぇ」と言われる。

 

わりといろんなことを自分でやっちゃうので、引き出しが多いというか何でもできる感じに思われがちなんだけどね。

 

 

でも自分では(たしかにそう思えなくもないけれど)単に、「いろんなことをやってきたしなぁ」ということだけだし、逆に言えば、”うまくいかないことはすぐ辞めちゃう性格”だとよくわかってるんです。

 

そんなことを長年やっているとだいたいの予想がついてきて、「できそう/できなさそう」、「うまくなりそう/難しそう」がやる前にわかってきちゃう。

 

だから他の人が見て「器用ですねぇ」という部分は僕にしてみれば、「できそうだと思って始めたし、だからうまくやれていること」を見てもらっている感じ。

 

 

 

ギターもドラムも高校生の時に始めたし、喫茶も高校生からやってる。

デザインやパソコンのあれこれもライブハウスで覚えたし、電話応対はドミノピザで鍛えた。

ペンキやDIYは実家の喫茶店が古すぎて自分で修理してただけだし、トラックの運転はキャベツ畑で覚えた。

 

 

スイミングスクールは途中でプールを上がって着替えたし、公文式の宿題プリントは焚火で燃やしたし、家庭教師はボイコットした。

マンドリンもほぼ弾かなかったし、走るの苦手だし、魚民は2日で辞めた。

何かを強制されるのは嫌だし、時間は苦手だし、同じことを繰り返すのも苦手。

 

 

 

むちゃくちゃわかりやすい表現をすると、

 

「勝てる試合にしか出ない」っていうこと。

 

 

「お前は亀田か」という声が聞こえてきそうだけれども、良い作戦だと自分では思っていて。

 

 

「身の丈を知る」っていう感じじゃないんですよね。

自分できちんと自分をコントロールできている感じ。

自分のことをよくよくわかっていると、ミスマッチは起こりにくいように思う。

 

 

 

そんで、「器用」っていうのはやっぱり思うんだけれど、「本職」には敵わない。

ひと筋というか、突き詰めるだとか、熱狂だとか夢中だとか、そういう類の人にはどうやったって敵いっこない。

 

 

僕は自分が暮らしていきやすいように自分であちこち修繕してる感じなんだけれど、突き詰める人はもうなんか、生活に支障きたしちゃったりするじゃないですか。

 

ああいうのを見ると、憧れる反面、僕にはできないなぁと、いつも思う。

そういう人って、苦労を厭わないとかじゃなくて、苦労や努力をそうとも思っていないくらいなんじゃないかな。

 

 

息するように動いている。

 

そんな気がします。

 

 

特に最近、言われるのは、「よく毎日あんだけ文章書いたり写真投稿したりできるよなぁ」ということ。

意識して文章を書き出したのは2002年頃から。

t-cupってBBSを始めたあたりだと思う。

 

なのでもう、16年か。

 

 

これに関しては自分でも「よくやるよなぁ」と感心していて。

ノートパソコンを開いて、さぁ書くかと思い立って、「器用ですねぇと言われる」と書き出してからここまで約30分。

 

これをプレビューで読み返して、誤字と行間を修正して予約投稿。

 

息するようにできることのひとつ。

 

 

これが「勝てる試合」なのかと言われれば、やっぱり物書きの人には敵わないと思いつつ、楽しんで書いているので良しとする。

 

 

 

本を読んで散歩して、世間を見聞きし、人の相談に乗り、仕事を手伝い、暗くなったらご飯を食べて、文章を書く。

 

何となくいま、こういう暮らしができたらいいなぁとぼんやり考えています。

 

 

 

人生は勝ち負けじゃないのだ。

突き詰めても突き詰めなくても良い。

熱狂でも夢中でも、現実でもなんでも良い。

 

 

自分の近所の誰かが喜んで、穏やかに分かちあえたらそれでいいんじゃないか。

 

 

究極、お茶がおいしければ良い。

 

 

 

そんなことを書き連ねてここまで45分。

今日はこれくらいにしておこう。