卒業とともに職業につき、毎日決まった時間しっかりと働き、
無駄を抑えて計画的に貯金し、積極的に積み立て、
来るべき老後のためにしっかりと囲う。
それはそれでひとつの形なんだろうけれど、円を積み立てた人生は円で余生を送り、縁を積み立てた人生は縁で余生を送るんじゃないかと思う。
どちらも、原資は時間。
与えられた24時間をどこに置いていくか。
もちろん「どちらか」というわけではないだろうし、割合というか自分で選んで計画的にに積み立てていくことが大事なんだろう。
老後までに2000万円用意するという考え方もあるし、毎月20万円相当の価値が流れてくる仕組みを40年かけて作り上げるということもできる。
結局のところ僕らは、
将来に対する不安や心配事はなるべく少なく、また分かちあえる人が周りにいて、程良く健康で朗らかに笑い合える毎日が続き、ご飯がおいしいと感じ、人に優しくでき、役割があって、話を聞いたり聞いてくれる人が傍にいて、嬉しいことを喜び、悲しいことを受け止め、それでも毎日眠たくなって、穏やかに床に就くことができれば、これほど充分な暮らしはないんだと思う。
僕らに与えられた24時間は、競争で相手を打ち負かしたり、ひとつの尺度で優劣をつけたり、年収や貯金額を振りかざしたり、言葉で押さえつけたり、相手の弱みに付け込んだり、失態を晒したり、足の引っ張り合いをするための時間じゃない。
僕らの役割は他にある。
生活とは、活き活きと生きることであり、電卓をはじいたり、帳簿を開いて頭を捻ることではないし、ましてや、スマホを開いて他人の人生を羨むことではない。
マズローの言うように、安心安全のうえに生活は成り立っていて、生活の重なりに人々の暮らしがある。
暮らしを育んでいくことで、あなたらしさや、わたしらしさを認め合うことができ、
また一歩、踏み出す勇気が生まれる。
よく寝て、よく食べ、よく笑う。
赤ちゃんがそうであるように、エネルギーの原点はそこにある。
僕らは何のために、今を生きているんだろう。