コップの大きさ


 

こんなご時世だし思うところあるんだけれど。

 

「誰かがなんとかしてくれる」

「あの人ならなんとかしてくれる」

「誰ならなんとかしてくれるのだろう」

 

 

生きていれば当然、自分の力だけではどうすることもできない事だってあるし、法律や社会制度、常識や倫理や世間体などいろんな事柄が絡まり合ってるわけだから、自分で全部なんとかしろっていうのは無理だと思う。

 

 

そもそも僕らは、穏やかに、朗らかに、寝て食べて働く生き物なんだから、何かふと、自分の視点や目線、思い込みを少し解きほぐすことで解消することだってあるんじゃないかとも思うわけです。

 

 

とある政治家や政党の集まりに顔を出して、同じ思いの人たちと語り合ううちに繋がりが生まれて、そこにいる人達が助け合うことで希望が見えるなんてこともあるわけだし。

 

 

宗教なんてそれそのものですよね。

実体としての神様は見えないんだからさ。

 

 

 

 

もちろん、制度や仕組み、それを運用する組織も大事です。

 

 

でもね。

1億人の最大公約数なんてなかなかないと思うし、そこに関心を持つってすごく難しいんだと思う。

 

 

政治に関心を持つことって、言い換えれば「他者」や「周囲」に感心を持つこと。

 

逆に言うと、どれだけ政治や宗教に熱心であっても「自分さえ良けりゃいいや、そのための手段だよ」なんて全員が思っていたら本末転倒なわけです。

 

 

それぞれが他者や周囲に興味関心を持ち、足りていないところを補い合うような気持ちが持てるようになれば、政治や宗教の必要性は薄まっていくんじゃないのかなぁ。

 

 

とは言え、自分自身が満たされていない人が他者を満たすというのは難しいと思う。

だからやっぱり、まずもって「自分を満たす」こと。

 

 

 

僕らは無意識のうちに、周りと比べ、足りていないと煽られ、よくわからない理想やファッション、集団行動や同調圧力に感化されてしまっているので、満たされる満たされない以前に、その「コップ」自体が大きくなりすぎてしまっているわけです。

 

そんな大きなコップ、全員が満たそうとするから他に回らないんだよと思う。

奪い合ってるだけじゃん。

 

 

情報や流行に惑わされず、自分の身の丈に合った大きさを自覚する。

必要以上に大きくせず、必要十分を意識する。

 

 

 

 

そのうえで。

 

よく寝て、よく食べ、よく働く。

 

そこが本当にきちんときれいに循環していれば、僕らは穏やかに朗らかに生きていけるはずです。

 

 

 

「はたらく」とは、他者への貢献。

他者に関心を持てない国は豊かになりません。