分断と分団。


 

さて、タイトルから想像する文章を連々と書き連ねてみようと思う。

 

このサイトの文章ってわりとそういうことが多いんですよね。

下書きとかもなく、タイトルとかテーマを決めてだだだと書く。

 

 

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コロナが分断を加速させているっていう話はあちこちでされているし、たしかにその側面もありつつ、その逆の「結束」や「連帯」が生まれている場面もあるだろう。

 

じゃあその「結束や連帯」は何の名のもとに結集したんだろうか。

 

 

 

 

これって、ここでも度々出てくる言葉だけど、「文化」だと思うんですよね。

 

 

大きな集団が一つにまとまっていなかったり、その中に亀裂が生じている状態を「分断」というのであれば、もっと小回りのきく「分団」を加速させるのもひとつの手立てなんじゃないかと思うわけです。

 

 

よくそれを「コミュニティ」とか呼ぶんだろうけれど、つまり「村や島」のような規模や世界観に立ち返ることで救われる何かがある気もする。

 

 

 

多様性だとか多様な価値観が交錯する(できるようになった)時代において「大きなコミュニティ」だけが全てではないと思うし、全体を統率するコストって莫大なもの。

 

 

 

 

それぞれの価値観や文化や様式や美学で繋がった多様な「分団」が互いに尊重しつつ、様々な視点や方法論を共有しながら、それぞれの最適解を選択できる「集合知」のようなものにアクセスできる状態をたとえば「国」と呼ぶのならそうだし、「中央」と表現してもいい。

 

 

 

「俺らは俺らでうまくやってる」みたいな感覚や「悪そうなやつはだいたい友達」みたいな世界観が、これから先の「安心」に繋がってくるんじゃないのかなぁと、小さな分団でよろしくやってる僕なんかは思うんですよね。