不労のフロー


 

実は最近、あんまり働いてません。

僕が”働く”というと定義が曖昧だけど、喫茶ピーコックのオペレーションに参加していないということ。

 

 

こないだ数えたら、日曜は完全オフとして月26日営業で、1日平均6時間くらい。

それもコンスタントに6時間じゃなくて、4時間の日と7時間の日があるみたいな感じ。

「お前はZOZO TOWNか!」と怒られそうだけど、悪びれもせず暮らしています。

 

さらにこのところよく寝ていて、7〜8時間は毎日寝てます。

どちらかと言えば早起きになったので、0時に寝て7時に起きる感じです。

 

 

ざっくり計算すると、1日平均10時間くらい「働く・寝る」以外の時間があることになりますよね。

 

 

 

「ええ年した働き盛りのおっさんがなにしてるねん」と。

けっして、僕は社長業で食っていけるんだもん!というレベルじゃないわけです。

 

 

 

でも僕は、ギリギリのところを狙って、「時間」を稼いでいます。

 

 

 

「暇の創出と可視化、そしてその運用」をやってみたいと思っているので、その人体実験中なのです。

 

時間をお金に変えて運用するのではなく、時間を時間のまま運用する実験です。

 

 

 

喫茶ピーコックをしっかりとやって、こどもれもねいどの活動をしていれば、お金や信用を稼ぐことはできます。

 

でも、「それ」にしかならないんですよね。

良し悪しじゃなく、もっと挑戦したりだとか、思いもよらないような事態は生まれないんじゃないかと思って。

 

 

今年に入って、こどもれもねいどを始めとする地域活動やイベント制作、各種実行委員や団体会員、場作りやコミュニティ、居場所事業や交流会なども、ぎりぎりまで制限しています。

なので、時間もあるしスケジュールも余裕。

 

 

 

最近、「あー、暇やな〜。」と思うことがしばしば。

それと、SNSなどで知り合いが活躍しているのを見て少し焦ったりだとか。

ビジネス書から遠のいて、暮らしや生き方の本に寄ったり。

 

 

去年の多忙を経験しているぶん、今のペースがいまいち掴めずに内心戸惑っているんだけど、これはもう「健全な反応」だと思うようにしています。

 

 

この「そわそわ」に負けて、忙しくしたり元に戻ったりすることは一種の逃げで、このそわそわに打ち勝って、経験したことない感覚を手に入れることが目的なんです。

 

なのでこの「スケジュール埋まってないと不安病」を克服するために、なるべく働かないようにしています。

 

 

 

朝起きてコーヒーを飲んで、シャワー浴びて本読んで、ご飯食べてブログ書いて、本読んで、ちょこっと働いて、また本読んで寝る。

 

 

こんな老後みたいな暮らしの中でしか見つけられないこと、あるはずです。

何もすることがなくなって止まってしまった時間からしか生まれないこともあるはずなんです。

 

 

 

これから先(まだもう少し先ですが)、きっとそういう時代が来ます。

時間を自分で管理・運用し、豊かさを作り出していく時代。

 

 

 

「得る仕組み」から「与える仕組み」へ仕事は変化します。

その与える仕組みを使って価値を最大化させるには、「希少と実用」が必要なんだけど、それには「時間」が深く関係します。

 

 

 

というのが僕の仮説なんだけど、そういうことを考える時間が今の僕には必要なんです。

 

丁寧にコーヒーを淹れて、そんな思いに耽っています。