幸福論


 

宝くじで1億円当たったら何したい?

 

 

みたいな話あるじゃないですか、よく。

 

でまぁ、あれが欲しいとかどこへ行きたいとかこれがしたいとか色々あると思うんだけど、究極そういうの全部叶えちゃって、遊んで暮らせるというか、「難なく暮らせる」状態になってでもまだ、「やりたいこと」だったり「譲れないこと」こそが、幸せの本質のような気がするんです。

 

 

 

「手ぶらで余裕」になった時に、それでもまだ挑戦したいこと、収まらない怒り、譲れない思いがあるなら、それが本物だと思う。

 

 

 

周りの価値観や見栄や世間体、慣習や教育やCMによって生まれる「1億円あったら何したい?」よりも、「1億円あろうがなかろうがこれだけは譲れない」っていうものに出会えるかどうか。

 

 

自分の中に潜む、ちいさなちいさな種火を見つけることができるかどうか。

またそれを育むことができるかどうか。

 

 

 

 

僕らが日々、両手両脇に抱え込んでいるものでは、幸せになれない。

 

 

幸せと快楽は似て非なるもの。

 

 

 

手ぶらになって見つかることもあるし、見つかったから手ぶらになれることもある。

 

 

宝くじじゃ叶わない人生を送ろう。