ギブのジョブ


 

こないだの「幸福論」で、「幸福と快楽は似て非なるもの」って書いたんだけど、あれから色々考えることがあって。

 

 

例えば。

 

・お金を出して指定席を買う。

 

これはどちらかと言えば「快楽(快適)」に近いですよね。

言うなれば「テイク(得る)」です。

 

 

・お年寄りや妊婦さんに席を譲る。

 

これは「ギブ(与える)」の行為です。

でも、これが幸福に近いような気がするんですよね。

「豊かさ」という表現がわかりやすいかもしれない。

 

 

なんとなくですが、ギブが溢れる社会って豊かそうな気がしませんか?

 

 

 

 

僕らはずっと、「テイク」を動機にして働いてきました。

衣食住の充実や生活の向上、お金を得て、快楽や快適を獲得するという動機です。

 

 

もちろん小さな単位で見るとまだまだ差異はありますが、テイクによって得られる豊かさが満たされつつある今、ギブによって得られる豊かさが求められているんじゃないのかなぁと思うんです。

 

 

でもやっぱり、教育や社会の仕組み、仕事という概念自体が「テイク」を前提に作られているので、いきなり「仕事っていうのは何かを獲得するためのものじゃない、何を与えるかということなんだ!」なんて言い出してもほとんどの人が教わっていないしやったことないのではじめの1歩が出ません。

 

 

でも。

・席を買う→席を譲る。

・野菜を買う→野菜を作っておすそ分けする。

 

こういう行為を繰り返すことで自分が得られる「ほわっ」とした気持ちや相手との関係性、こういう繋がりを育むこと自体を楽しめるようになれば、また何か変わるかなと。

 

 

ビジネス書やセミナーやらでは、どうやって「テイク」の仕組みを作るかということが散々書かれていますけど、それと同じかそれ以上に、どうやって「ギブ」の仕組みを作るかっていうのもこれからは大事です。

 

「さあ、与えましょう!」というのはハードルが高すぎるので、なんか集まって楽しくやってたら結果的にそれがギブってたくらいのフレームがあれば良いのかなと。

 

 

「ギブがジョブになり得る」っていうのを考え出すと、ベーシックインカム×地域通貨とか、お坊さんくらいに思えてくるんだけど、このへんはこれからも考えていきたいテーマ。

 

 

理想論だ、夢だって言う人いるけど、理想も夢もない現実なんて過酷すぎるでしょ。

 

 

 

夢を見ましょう。

夢を語りましょう。

じゃなきゃなんも始まらないです。