漁村の買い物


 

なぜかずいぶん若いときから、「漁村」が好きなんですよね。

 

山あいの村よりも、断然「漁村」派。

 

 

 

海岸線をドライブしていると、国道からちょっと外れて脇道を入って抜けたとこにあるじゃないですか、小さな漁村。

 

港があって船着き場があって、テトラポットと防波堤があって、山の斜面に沿って家と路地が広がっているっていう。

 

ああいうの、大好きなんです。

 

 

 

こないだも和歌山のちょっとした漁村に行ってきたんですけどね。

 

昼過ぎに僕が防波堤でぼーっとしていると、ママチャリに乗って買い物かごに釣りセットを入れたおばちゃんが走ってきて。

慣れた手つきで撒き餌をして釣りを始めたんです。

 

 

でも、おばちゃんの格好、「家事の片手間」感がすごいんですよ。

「近所の商店街に買い物に出かける」くらいの格好で。

先に隣りにいたおじさんと世間話をしながら糸を垂らして。

 

 

それを見ながら僕は、「あ、晩ごはんの支度やな」って気づいたんです。

この村の人達は魚を「買う」んじゃなく、「獲る」んだと。

 

 

 

僕は常々、「お金と時間」について考えているので、このおばちゃんを「釣りという作業(しごと)で、時間を魚(価値)に換えているなぁ」と思って見ていました。

 

もしこのおばちゃんが近くで田んぼや畑もやっていて、味噌も自分で作ってってなると、時間→生活(生存活動)がきちんと成り立っていて、単純に羨ましいなぁと。

 

 

あともうひとつ「自分の住んでいる近所に海や山や田畑があって、それを享受できる環境がある」ってやっぱり大事なことだなと思ったんですよね。

 

 

あとは文化経済生活圏が地理的に分断されているっていうのも「価値を地域で循環させる」ためには重要なことだなと。

 

 

 

その最たるものが「離島」じゃないかな。

 

 

じゃあ今すぐ離島に引っ越して自給自足生活始めるんかって言うとそうでもないんだけど、感覚としてはしっかりと捉えておきたい。

 

 

と言うか、日本も「離島」ととれなくもないんだけどね、本当は。