どうでもいい日


 

普段は喫茶店にいたり、文章を書いたり、誰かと話したり、「まち」について考えたり、「はたらく」について思い巡らせたり、「お金」という魔物を飼いならす戦術を練ったりしているので、わりとあくせくしているほうなんだけど。

 

 

月に1度くらいのペースで、「どうでもいい日」っていうのがやってきます。

 

 

もうね、なかなか布団から出ずにだらだらとスマホ動画見たり、SNS見たり。

近所をうろうろしたり、スタッフとお喋りしたり。

ぼーっと草むしりしたり、引き出しの片付けしたり。

 

 

「価値と価格」とか「地域コミュニティ」とか「働き方」とか、そういうワードが頭をよぎらずに、ただただ、ぼんやりと過ごす。

 

 

 

こんなこと言うとアレだけど、自分のことだけ考えて(と言うかそれすらもほぼ考えず)「ただ単なるおじさん」としてだけこの世に存在する時間があるんです。

 

 

 

しかも、あらかじめ「この日!」って決めるんじゃなくって、それは唐突にやってきます。

 

「なんだかな〜」とか「あー、疲れちゃったな〜」とか思いだすと、そこからずるずる引き込まれていって、気がつくと「単なるおじさん」に仕上がってます。

 

 

予定はほぼ後回しにして、ToDoやタスクも後回し。

今日じゃなくても良いことは全部リスケジュール。

 

 

 

「一生懸命を笑え!」っていうスローガンですら、

 

 

「やっぱり、明日から笑おう。」って思えるほど。

 

 

 

だって、ただ単なる、前厄おじさんなんだもの。

 

 

 

 

過去も未来も全部忘れて、今を生きる。

 

って言うと格好良いけど、なんも考えてないだけです。

 

 

動物の笑える動画集や、外人が本気でDIYした小屋の動画、ツイッターの揚げ足の取り合いや、スマホ写真のフォルダ整理、LINEスタンプを買ったり、アプリの削除とかしてます。

 

 

 

僕の書く文章やSNSの投稿はわりとパブリックなものが多いので、プライベートとも言えない「極私的な時空間」っていうのもまた必要なんですよね。

 

 

 

こうやって書いている事自体がカメラ意識しちゃっているので、本当はこれの3倍くらい「どうしようもない、うえしば」です。

 

 

 

また、それらしき野性のうえしばを見かけた時には話しかけたりせず、そっとすれ違ってください。

 

また気が向いたら動き始めると思います。