貨幣経済を終わらせるための、3ステップ


 

ちょうど1年くらい前に、僕は「貨幣経済を終わらせる!」と宣言しました。

 

 

いやいや、それは無理でしょ。

とたくさん言われましたが、そりゃもう当然。

 

そんなこと言って、あんた税金どうすんの?

お米で払うの?

みたいな話になるわけです。

 

 

 

あれから1年。

いろいろと考えたり、本を読んだり、話を聞きに行ったり、実際に行動したりして実証実験を繰り返してきました。

 

もちろん、お米で税金は払えないわけなんだけど、前に比べると「融通と交換」をスムーズにできるようになってきたなぁと思っていて。

 

今年はもう一つ大きく動きたいので、振り返ったり整理したりしています。

 

 

 

今ここで、大事なキーワードは3つ。

 

 

・信頼圏

 

家族だったり親戚だったり、同郷だとか後輩だとか、僕らは地域や国以外にも「とある括り」で関係性を捉えたりもしています。

円は全国共通の尺度なので、自分や相手の価値や仕事を「円という物差し」で測ってしまうと、日本全国の顔も知らない誰かと競争することになります。

 

もちろんそれに勝ち抜いていく気概のある人はいいんだけど、価値の移動を起こす時に「地元の後輩」だとか「嫁の実家」だとか、自分が懇意にしている括り(圏内)を使うようにすれば、いきなり「全国大会で戦う」みたいなことにはならないわけです。

 

大切に育てた野菜を市場に持って行けば、「競り」にかけられて他の誰かによって価格が決まります。「できるだけ良いものを、できるだけたくさん、できるだけ安く」の世界です。

市場を介さずに、「大切に育てた野菜」を「野菜を大切に育てた人」として顔の見える範囲で応援し合う。

 

そんな「信頼圏」をある程度の規模(それぞれの暮らしが賄える程度)で運営できれば、全国大会に出場するための努力はしなくても良いのになぁと。

それを具体的にどうデザインしていくか、そこがポイントです。

 

 

 

・利用価値より存在価値

 

さっき出た「できるだけ良いものを、できるだけたくさん、できるだけ安く」というのは、「最小限のコストで最大限のパフォーマンスを得たい」ということに他なりません。

それを全国大会で競うわけですよね。

 

技術革新や情報技術が進み、価値のコモディティ化(画一化)は広がる一方です。そこそこの良いものを誰でも作れるようになりました。

そうなると、価格競争です。

 

自分にとって「利用価値があるか」ということが焦点になってきて、相手の「存在価値」が見えにくくなります。

激安で食べたラーメンで満足したとしても、そのラーメン屋店主の夢や家族のことは置いてきぼりです。

 

「利用価値」で測るのではなく、「存在価値」を応援し合う。

そのために「圏」を作り循環させていく仕組みが必要だなと思っています。

 

「あいつのとこ、子供生まれて大変そうやからラーメン食べに行こうや。ちゃんと食べてちゃんと応援しよう!」みたいなことです。

 

 

 

・「信じて頼る」ということ

 

この1年、「お金を介さずに価値を循環させる」ということを色々と試してきました。

SNSで交換を呼び掛けたり、「欲しい人あげます」を何度もやりました。

はじめは遠慮があったりしたのか手が上がらないこともありましたが、ある程度した頃からその感触は柔らかくなりました。

なんとなく、スムーズに動くようになったのです。

そして同時に、物や人が集まるようにもなりました。

それをまた循環させる。

 

この中で、人を頼ったり、頼んだり、貰ったり、貸し借りや「ある時払い」のようなことに、周りはずいぶん億劫になっているんだなと思ったんです。

 

経済的な観点からみると「ひとりひとつ」を奨励した方が物は売れるし、貸し借りや融通ではなく「サービスと対価」の方がお金が動きます。

 

 

でもその流れが「頼る」ということを億劫にさせたんじゃないか。

「大人」や「自立」という言葉のあいだに、作為がうっすらと挟み込まれてきたんじゃないのかと。

 

 

 

僕は自立した大人として、大切な人たちの夢や思いを応援し、その暮らしを支え合い、信じて頼り、頼られることに喜びを感じ、偏りのないスムーズな循環を心がけていこうと思う。

またそのことについてよく考え、共有しながら見識を深めていこうと思う。

 

 

「お金」という物差しで測るんじゃなくて、自分の中に整然とした価値基準があって、その尺度で物事を捉えることができる人を「大人」と呼ぶんじゃないだろうかと思うし、その尺度や言葉を共通で持つ人たちのことは、「信頼」という言葉で括れるのかもしれない。