老後に〇〇万円必要だとか、年金の話だとか、子育ての話もそうなんだけれど。
世間では色々騒がれているじゃないですか。
ああいうニュースとか見ていて、いつも思うのは。
「※ただし、全ての価値を円換算した場合」
ってことですよね、そこは表記されてないけど。
全ての価値移動をお金というお皿に乗せて行う場合はそれくらい必要なのかもしれない。
でも、価値移動の受け皿はもちろんお金だけじゃないわけです。
恩送りや恩返し、地域自治や互助という言葉があるように、様々な関係性や日々の繋がりの中で僕らは生きています。
人がひとりで生きていく活動を「生活」と言うのならば、僕らには「暮らし」という、手足が自由になり、道具が使え、言葉を操り、思考を巡らすことができる人としての機能が備わっています。
ようするに、僕らは「助け合える存在だ」ということです。
助け合えないとしたのなら、それは「助け合えない何か」が存在しているわけで、そこを丁寧に取り除いていくことで関係性はまた違ってきます。
たとえば、2000万円必要だと言われて、2000万円用意した時に「よし、これで安心だ!」と思えたのなら、それはお金を信用しているということですよね。
でも、僕が高校生の時の時給が680円で、現在の最低時給は936円。
今現在の2000万円と20年後の2000万円はまた違ってくると思うんです。
なので僕はけっこう不安定な指標だなと思っていて。
もちろん全く無いってのもどうかと思うけど。
まだ見ぬ老後のためにがっつり囲い込んでいく方法もひとつだろうけれど、僕は関係性を育むことに投資をしていきたい。
それはお金を稼ぐという行為や稼いだお金を分配するということだけではなくて、時間や労力、知恵や知識など、あらゆるものを繋がりの中に還元していきたいんです。
ここまで時代の流れが早くなってくると、前例や比較、統計の話ではなくなってくるので、結果や仮説や予測でしか見立てることができなくなってきます。
ようは「どこに賭けるか」です。
お金というものの信用に賭けるのか
人との繋がりに賭けるのか
極端な話かもしれないけれど、僕は人の繋がりを信じる。
全人類を信用するってわけじゃないけど、僕はコミュニティの力を信頼することに決めました。
その人が持つ可能性を最大化することができて、それがきちんと繋がれば、未来は明るい。
一生懸命を(可能性を)、笑い(最大化して)、合える(繋がる)、世界です。
そのためのひとつひとつをクリアしていきます。