コロナウイルスによる自粛や時短営業、休業やリモートワークなどなど。
「時間」というものの捉え方が再考されるような気がしています。
これまでは「早わざ!」とか「時短家電」とか「効率化」のような、「いかにして時間を生み出すか」、裏を返せば「時間がない!」っていうところが焦点になっていたんですよね。
ところが今、この有り余る時間にどう意味をもたせるか?が課題になっているように思います。
たこ焼き粉やホットケーキミックスが品薄になっていたり、任天堂スイッチに長蛇の列ができていたり。
「#うちで過ごそう」の名のもとに、あれこれと家時間の過ごし方がSNSで共有されまくっている状態です。
そしてまた経済的(収入など)な部分もあるので、あまりお金をかけずに有意義な時間を過ごそうといったところではないでしょうか。
ある意味では、お金の効力が限りなく小さくなり時間の有用性を探っているっていう、経済資本から関係資本や文化資本への移行ともとれますよね。
でもこの「繋がりや経験を共有、交換しながら暮らしていく」って、小学生の放課後的だなぁと思ったんです。
小学生ってお金を持ってるわけではないので、コミュニティの中でうまくやっていこうと思ったり必要な価値を得ようと思えば、お金以外の部分で「はたらきかける」必要があるんですね。
具体的に言うと、放課後という「時間」を使って、ふざけたり、助けたり、教えたり、貸し借りしたりっていう「資産」をお互いに育んでいく。
評価経済といえばわかりやすいんだけど、「あいつ、ええやつやなぁ」だったり「困ったらなんでも言ってや」だったりを高めあっていく。
猿どうしの毛繕いとか、そういうのが近いです。
今はもしかしたら塾とか習い事とかあるかもしれないけれど、本来なら「児童文学”モモ”の円形劇場的な世界観」がそれとして機能するんだと思います。
僕らは大人になるにつれ、「時間をお金に変えてお金で暮らしていくんだよ」と教えられるけれど、今回のような事態が起こった時にはあまりにも無力です。
時間を使って周囲にはたらきかけ、そこで得た繋がりや信用を元手に交換して暮らしていく。
今こそ「放課後の経済」。
時間を泥棒に盗まれないようにね。