これは僕の何なんだ


 

少しの間、インターネットから離れていたので、ざっくり言うと「情報」に疎くなっていたんですね。

 

「目の前のことだけやっていた」感じかな。

 

朝起きて、支度をして、雑務をこなして、ご飯を食べて、仕事をして、趣味をして、体操して、寝る、みたいな。

 

 

ネットで情報に触れることも極力避けていたし、SNSでのやりとりや自分からの発信も控えていました。

 

 

そんな「自主的自粛期間」からやや日常に戻った途端、「情報」が追いかけてきたり飛び込んできたりするんだけど。

 

 

 

あれこれ相応に感情が揺さぶられたり、それについて考えたりもするんだけど、そこでふと思うわけです。

 

 

 

「あれ?、これって僕の何なんだろう?」って。

 

 

 

 

とある誰かにとっては有益だったり重要な話題かもしれないけれど、僕にとってみれば極論、あまり関係のないことだったりするんですよね。

 

でも、ネットの情報というのは直列ではなく並列でやってきます。

同時に、同じ音量でやってくるんです。

 

 

とはいえ人の感情というのは同時に処理できない。

例えば、怒りながら喜んだり、種類の違う事柄について同時に怒ることは難しいですよね。

 

 

 

 

本当に自分にとって必要な情報や関わりのあること、自分が割くべき「感情」については慎重になったほうが良いなと思うんです。

 

 

自分を中心にして、「距離は遠いけれど音量は大きい」ような情報というのは、何かしらの作為があったり、無意識にでも時間や感情を差し出しているんだと思う。

 

 

例えば。合間に広告がたくさん入っていたり、自分がその養分になっていたりします。

 

 

 

よく「世界の今がわかる!」みたいなニュースサイトがあるけれど、「世界の今」という膨大な情報を処理できるほど僕らは優秀ではないわけです。

 

 

 

「今」というものは時間軸で語られがちだけれど、「自分の目の前に広がる光景」を「今」としてみると、世界はもっと違って見えてくるんだと思う。

 

 

世界とは距離ではなくて、視界。

 

 

 

目の前で起こっている事を疎かにしてまで、遠くの何かに感情を割くことはないと思う。