2020年7月17日にフェイスブックの個人アカウントに投稿した記事。
自分の気持ちをうまく書けたと思えたのと、共感してくれる人がたくさんいたのでここにも記しておく。
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【 ただ醤油を借りるためだけのSNS 】
最近思っていること、ちょっと気が向いたので書く。
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ここのところFacebookとかから遠のいてる理由のひとつとして、「明るさ」だったり「力強さ」だったり「怒り」のようなものが頻繁に目に入るからなのだと思っている。
それ自体は全く悪くない。僕が勝手に反応しているだけ、そもそも斜めに構える人なので。
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世の中にはたくさんの種類の人がいた方が良いのでそれぞれの持ち場でやればいいんだし、ここ数年の僕の立ち位置がわりと「地域や社会」寄りだったせいもあって、タイムラインはそちらに寄っていて。
もちろんコロナも要因にはなっているけど、大雨による災害の映像や、芸能や政治のニュースにもけっこう疲れている。きっとそれを避けるようにSNSからも遠ざかっているんだろう。プッシュ型情報摂取の弊害ともいえる。
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マズローの欲求5段階説、
1.自己実現
2.承認、注目
3.社会、所属
4.安心、安全
5.生理的、生存
1〜3は精神的な欲求、4〜5は物質的な欲求。
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天災で自分の身の回りが破壊されたり流されたり、コロナやその影響で仕事がなくなったり、そういった状況を想像した時に、「もし自分に何も残らなかったら、一体自分に何が残るんだろう?」と考えてしまう。
職業も肩書きも社会的地位や物質的資産も流されてインターネットも使えないような状況で、僕は誰で、何ができるんだろうと。
職場も仕事も肩書きも、承認や注目も、それは肌着のようなもので「身に纏っているだけ」な感じ。
信頼できるのは自分本体に蓄積した技術知識経験のみ。
裸一貫で何ができるんやみたいな話。
身の回りのほとんどの物はさ、消えてしまうわけです。
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よく言われる話だけど、SNSはどうしてもマズローの1〜3に寄りがちなので、僕としては4〜5あたりを強靭にするための仕組みが必要だと感じている。
それは自治会やご近所だったり家族や親戚だったりしたわけだけど、インフラとしてのインターネットが機能している間はオンラインで補えたら良いんじゃないか。
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フィッシュマンズの佐藤伸治は歌の中で「君の1番疲れた顔が見たい、誰にも会いたくない顔のそばにいたい」と歌っていたけれど。
会いたい、集まりたい、一緒にやろう。
それだけじゃ人生は疲れてしまう。
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誰にも会いたくないし、どこへも行きたくない、何にもやる気が起きない。
そんな疲れきった夜に醤油を切らしたとき、「ごめん、誰か醤油貸してくれへん?」と言える場所があっても良いんじゃないかと思う。
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そんなん考えすぎちゃうん?と度々言われるけど、僕は小さな頃から考えすぎる子でした。
2020.7.17- 静かな夜に。