少し前に、「減速して生きる」という本を読んだ。
あちこちで言われている”資本主義の限界”だとか、”多様なライフスタイル”みたいな流れからたしか読んだと思うのだけれど。
ふと思う。
あれから僕は「減速して」生きてるんだろうか、と。
数年前に比べると店も小さくなったし、ひとりで営業してるし、抱えているタスクも減った。
あくせくしているとは思わないし、周りからものんびりしていると見えるだろう。
でもこの「減速して」というのは、フットブレーキまでいかなくてもエンジンブレーキくらいの体感を伴うようなニュアンスで捉えていて、そういう意味で僕はそこまで減速していない。
荷物が減ったから歩きやすくなった、くらいだろうか。
進捗や達成感は常習性や依存性がある気がする。
脳内なんちゃらホルモンみたいなのがきっと影響してるんだろう。
何の進捗もなく何も達成しない平穏な日々が続くと途端に不安になってくる。
隣のレーンが気になって仕方がない。
本当は「隣のレーン」なんてなく、自分が勝手に作り出した妄想。
周りを気にすることができるツールが出揃っている現代病のようなものだ。
減速だの加速だの言ってるのが、もうすでに何かを基準にしてしまっている。
ただ単に、自分にあったスピードで歩けばいいはずなのに、だ。
自分にあったスピードを自覚できている人はどのくらいいるのだろう。