移動手段としての車だとか、荷物を運ぶためだとか、家族で出かけるための箱だとか、そういう車の「機能面」に関してはずいぶん整ってきた(置き換わってきた)なぁと思う。
「若者の車離れ」なんて言うけれど、交通網が整備され、物流が進化し、カーシェアが普及した今となっては、車に乗る(所有する)理由が見当たらないといったところだろう。
簡単に生きていける時代になったからこそ、生きる意味を問い続けて死んでしまう社会のようだとも思う。
車にしろ人生にしろ、きっとこれからは「機能」よりも「意味」が重要になってくる。
たいして役に立たないし週末にしか乗らないけれど、見た目と色が最高で平日は写真を眺めたり、週末を想像して頑張れたりする愛車。
1ヶ月も乗れないことだってあるかも知れない。
でも、それを「想う」時間に本質的な意味があって、距離や頻度は関係がないのだ。
僕らの暮らしはもはや、快適や便利を止めどなく追い続ける時代ではない。
不便で理不尽で役に立たない、でも無くなってしまっては張り合いがなくなるような物や人。
そこに「意味」を見いだせる力が必要なのだ。
時間は存分にある。
それを、機能に使うか、意味に使うか。
たいして速くもない音が大きいだけのバイクに跨って、前傾姿勢で腰を痛めながら、僕は時代を駆け抜ける。