250TR


 

移動手段としての車だとか、荷物を運ぶためだとか、家族で出かけるための箱だとか、そういう車の「機能面」に関してはずいぶん整ってきた(置き換わってきた)なぁと思う。

 

 

「若者の車離れ」なんて言うけれど、交通網が整備され、物流が進化し、カーシェアが普及した今となっては、車に乗る(所有する)理由が見当たらないといったところだろう。

 

 

 

 

簡単に生きていける時代になったからこそ、生きる意味を問い続けて死んでしまう社会のようだとも思う。

 

 

 

車にしろ人生にしろ、きっとこれからは「機能」よりも「意味」が重要になってくる。

 

 

たいして役に立たないし週末にしか乗らないけれど、見た目と色が最高で平日は写真を眺めたり、週末を想像して頑張れたりする愛車。

 

 

1ヶ月も乗れないことだってあるかも知れない。

でも、それを「想う」時間に本質的な意味があって、距離や頻度は関係がないのだ。

 

 

 

僕らの暮らしはもはや、快適や便利を止めどなく追い続ける時代ではない。

 

不便で理不尽で役に立たない、でも無くなってしまっては張り合いがなくなるような物や人。

 

そこに「意味」を見いだせる力が必要なのだ。

 

 

 

 

 

時間は存分にある。

 

それを、機能に使うか、意味に使うか。

 

 

 

たいして速くもない音が大きいだけのバイクに跨って、前傾姿勢で腰を痛めながら、僕は時代を駆け抜ける。