僕は僕に囚われていた

 

 

なにか新しいことを始める時やちょっとした節目に、思いつきで旅に出ることがよくある。

これまでにも、福岡・但馬・淡路島など観光目的ではなくふらっと出かけた。

僕は20代の前半あたりにもよく旅をしていて(なかば現実逃避的な旅だったけど)、ヒッチハイクをしたり野宿したりとそのころの記憶は今も濃く残っている。

 

 

僕にとって「旅」はずっとそのことと結びついていて、自分の人生を自分の足で切り開いている感じだとか、偶然に身を任せてみる感じとか、重いリュックを背負いながら知らない土地を歩くことで、当時の追体験や身体を通じて何かを取り戻そうとしているのだろう。

 

 

今回は島根県への旅。

といっても1日だけなので、出雲大社でお参りをした後は電車やバスで移動して、喫茶やカフェで本を読み、温泉に浸かり、買い食いしたり町を歩いて帰ってきた。

 

特に下調べもせず、スマホ片手にふらふら歩いただけだったけど、今回の旅の目的は達成できた。

 

 

週5日とはいえひとりで喫茶店をやっていると、急な誘いとか近辺以外での移動に億劫になる。

 

すぐに「いやぁ、店があるのでちょっと、、。」とか言ってしまうのだ。

 

 

たしかに、頻繁に臨時休業する店は信用されないし生活の糧でもあるわけだから、「好きな場所で、好きな人と、好きな仕事を。」なんていう、これからはフリーランスの時代だ的な文句を真に受けてはいけない。

 

とはいえ、土地に縛られてそこから軸足を動かせない生き方が決定しているのもどうかと思う。

 

 

そんなことを考えていた時に、旅行アプリ(格安チケットや航路の情報、予約などできる)を思い出して、ひとしきり調べてみた。

 

 

たとえば、朝一番の飛行機に乗って最後の便で帰ってくる。

滞在時間にもよるけど、東北とか九州、なんなら韓国だって行ける。

弾丸ツアー、みたいなものか。

 

 

そこに路線検索アプリや地図アプリも駆使したら、ものすごい解像度で旅の計画ができてしまう。

 

現実性が増すというか、「なんだ、行けるのか。」という気になってしまった。

 

 

とはいえ旅費もそれなりにかかるから毎週というわけにはいかないけれど、「店があるのでちょっと、、。」から「店があるけどぜひ!」になったのはとても大きい。

 

早速、9月には秋田へ行き、12月には東京に行くことにした。

 

 

知らず知らずのうちに、僕らは思考のフレームに囚われてしまっている。

行けないのではなく、行けないと思って、いた。

 

「食わず嫌い」のような感じで、世界を小さくまとめてしまっているのだろう。

 

 

やってみたい!と思っていたことがどれくらい現実的なのか、どうやったらできるのか、一歩踏み出す前に調べることができやすい時代なのだし好奇心を好奇心のまま眠らせておくのは勿体ないなぁと思う。