こないだ、大阪中之島にあるgraf porchで開催された、編集者である伊藤ガビンさんの著書「はじめての老い」出版トークイベントに行ってきた。
みうらじゅん氏が「アウト老」を提唱したりと世間的にも関心のあるこのテーマ。
超高齢化社会が待ち受けている日本にとって、斜めに切り込む視点も救いになる。
登壇はガビンさんのほか、graf代表の服部さんとスタンダードブックストア中川さん。
みなさん人生を絶妙にサバイブして波を乗りこなしている印象の文化人枠おじさん。
佇まいや空気感、抜け感がほどよく、僕も憧れる先輩といった感じだ。
ビール片手に頻尿だの還暦だのゆっるいトークを繰り広げているのを、若き聴衆はなにやらメモを取っている。この内容を若者たちはどう編集してメモに残すのか、そっちが気になるくらい前の席の子は書き込んでいた。
解釈は人それぞれ、頻尿と聞いて会社を辞めちゃう若者がいたってそれもまた人生。
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前の記事でも書いたけど、僕は現在45歳で今年46歳になる。
もうこれ自他ともに認める立派な中年で、肩は回りにくくなり謎に背中が痛い日もある。
次の日にまで残るからお酒は飲まないし、嫌なことは避けて通る術を身に付けてしまった。
とはいえ地元で商売したり地域の役まわりの中では「若手」と言われるし、昔からのお客さんは僕のことをいまだに「お兄ちゃん」と呼ぶ。
いやいや、たしかに親世代の人たちと関わることも多いけど勘違いするからやめてくれ。
宴会でめちゃくちゃ食わせてくる寿司屋の大将、まだまだ御輿を担げると信じてやまない氏子衆、若い人のアイデアを取り入れよう!と熱視線を浴びせる長老。
昔のことは忘れたのか、きっと同じ目に逢っているに違いないのに歴史は繰り返される。
そんなに食えませんて。
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「50-80問題」って聞いたことあるだろうか。
正確な文脈だと、「80代の親が自立できない引きこもりの50代の子を扶養する」社会問題として取り上げられることが多いけど、世代だけで言えばまさに僕はその世代予備軍。
両親との年の差はちょうど30才で、あと5年もすれば50-80ど真ん中になる。
引きこもっているわけではないので社会問題のそれとは違うけれど、両親の健康や生活のこと、僕自身の健康や仕事、子供たちの学業や将来。
中心となる僕が両世代のことを脇目に見つつ最前線で両腕を振り回している。
うおおおおお、人生ってなかなかボリューミーなのね!と、ここのところ日々実感している。
ありがたいことに善戦できている気もするんだけど。
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冒頭の3方は60才前後だそうなので、僕にするとまだ15年くらいある。
その頃には憧れの文化人枠おじさんになれているだろうか。
それこそ、50代の過ごし方にもよるんだろうと思う。
今よりももっと文章を書きたいし、書きたくなるような日々を送っていたい。
そしてそんな日々を過ごせるような余裕と健康、人との出会いや知見と見聞。
人生はどんどん総力戦になってくるんだろう。
これまでの軌跡がその人をつくる。
今の僕をつくったのは、これまでの僕でしかないように。
書籍出版にあたってガビンさんは年長の方々に「お前にはまだ早い」的なことを散々言われたそうだ。
「老い」の深みというか、そこからしか見えない景色(喜びも苦労も)があるのだろう。
人生100年の時代、できる限り長生きしてやろう!なんて思わないけれど、それぞれの場所から見える景色は見てみたい。
頂上の高さは気にしないけれど、時より見上げたり振り返ったりする余裕をもって地を踏みしめよう。