最近、「あ、このひと素敵だな」と思う人の年齢や生まれ年を調べると、50歳前後だったり1970年付近であることが多い。
もちろん僕も着実に年を重ねているし、むしろその年齢に近づいている。
自分にとって心地良かったり親近感があるんだろう。
イメージができるというか。
これは僕の勝手なイメージだけど、これまでの経験や人脈や知見のストックを活かしながら、若さゆえの力みや過度な野心とのバランスが取れるあたりなんじゃないだろうか。
糸井重里さんが「ほぼ日」を始めたのも50歳。
なんだかそんな気がする。
これを書いている2025年現在、僕は46歳になる年で、いよいよ四捨五入で50歳を迎える。
(この「四捨五入」っていう考えかたはざっくりしすぎていてけっこう好きだ)
そしてこうやって書くと、もう迎えちゃったような気にもなる。
まぁ、認知科学的にも引き寄せの法則的にも、「もうなんだかそんなような気分でいる」のが大事っていうし、ええ感じの50歳をイメージしといたほうが良さそうだ。
小さなまちで喫茶をしながら文章を書き、地元の世話をしたり、相談にのったり。
ただ、それだけじゃない未来にも期待していたい。
現時点では想像もつかない、だけど嬉しい未来。
想像もつかない未来を迎えるには、「想像しちゃいけない」のかもしれない。
想像もつかない未来を想像してしまったら、それは想像した未来だし、それにしかならない。
今できることは、変な場所にいること、変な人に会うこと、変なものに触れること。
違和感を伴う好奇心に気づけるくらいの歩幅で歩いていようと思う。