世界の歩きかた

 

最近、あごヒゲがより白くなってきて少し長めになってるんだけど、こないだお客さんに「絵本の長谷川さんみたいよ」って言われたので調べてみたら。

 

なるほどなるほど、ここまで白くないけど言わんとすることはわかる。

どちらかと言えば丸メガネに引っ張られてるとは思うけど。

 

メガネ柄(この場合は、職業柄みたいなこと)、丸メガネには敏感で街で見かけたら反応するし、たぶん向こうも気づいている。

なんか同じ部族と森ですれ違った時みたいになる。(たぶん、知らんけど)

 

雑誌やWEBでも丸メガネには目がいくし、僕より年上の人の場合は憧れてしまう。

曽我部さんのような佇まいやタケオキクチみたいなおじいちゃんになりたい。

その頃まで僕が丸メガネでいるのかわかんないけど、文化的素養というか、スタイルのある人には憧れる。

 

この45年の間に拾い集めてきた世界の断片を使って、コラージュというか作品というか、自分なりの編集でもって形にするのが50歳までのテーマだと思っているし、そのために内側をよく見ておく必要がある。

 

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「世界と世界観」は、言葉こそ近いけれど僕のなかでは解釈が異なる。

 

世界とは、このだだっ広い世の中の全て。起こること全部。

歴史も含めて宇宙の全てと言ってもいい。

 

逆に言えば「知っていることのみ」でもある。

だからこそ、「物事を知る」ことが先ずもって大事。

 

そして「世界観」とは、その世界をどう見るか。

または、どう切り取るか、だ。

 

そこには自分なりの解釈があり、編集があり、それを分別するための価値観がある。

価値観は体験から生まれる。

 

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世界とは大きなスーパーマーケット。

あらゆるものが棚に並んでいる。

 

世界観とは個々それぞれのカートの中身だ。

棚から何をカートに入れるかは人によって違う。

あなたが手を伸ばしたそれには必ず意識(顕在潜在に限らず)が働いているから。

 

カレーを作るのならジャガイモや人参、ラーメンならモヤシやチャーシュー。

レシピによって中身は変わる。

 

僕は何を作ろうとして棚からカートに物を入れたのだろうか。

カートの中身で何が作れるだろうか。

 

しかしまた、そもそもなぜ、それがカートに入っているのだろうか。

僕のレシピメモには何が書いてあるのだろう。

 

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あらゆるものを具体に落とし、数値と成果で比べる世界にはこのところ少し白けてしまっている。

かといって抽象だけでは何も動かない。

 

 

言葉にしすぎてもいけないし、しなさすぎてもいけない。

 

 

自分自身が腑に落ちつつも白けない、ちょうどいい塩梅を探るために、今日も僕は丸メガネをかけて世界を歩いている。