「文化人になりたい」
などと言い出したのはいつ頃からだろうか。
10代の頃はたしか「ミュージシャンになりたい」と言っていたはずだ。
そもそも「文化人」を調べてみると、
「文化的教養を身につけ、学術や芸術、文学などの知的な活動に従事する人。また、特定の文化を担い表現する人」とある。
そう考えると「将来は文化人になりたいです」なんて言ってる10代がいたとしたら、人生何周か輪廻しているとしか思えない。
振り返ってみると、20歳を過ぎた頃によく小説やエッセイを読んでいた。
おそらく今よりも読んでいたはずだ。
その頃は中島らもや村上春樹、糸井重里とか原田宗典が好きで、物事の視点とか言い回し、人としてのクセのようなものに惹かれていた。
今を思えば周りの大人や先生、バイト先の社長やその辺のおじさんだってきっと自他共に認める多様な「クセ」を持っていたのだと思う。
ところが当時の僕のような「前途ある若者」と接する時には、責任回避とか良く見られたいとかで模範的な大人として振る舞い、当たり障りない世間一般の模範解答でしらばっくれていた。(はず)
そこへきて小説家やミュージシャンやアーティストはその「クセ」を商売にしているのだから、「当たり障る」ことが生業になる。
良い大学、良い会社、良い人生、みたいなものに憧れず、いちいち当たり障ってくる「クセのある表現者」に憧れ始めたのはきっとこの頃からだ。
当時の感覚だと、タモリは「笑っていいともの人」だし、所ジョージは「世界まる見え特捜部の人」だった。
まだ、ブラタモリも世田谷ベースもなかった時代。
上岡龍太郎と笑福亭鶴瓶がパペポTVでグダグダやってるのは好きだったけど、「大阪の難しいおじさんと面白い落語家」くらいにしか思っていなかった。
若い頃はその人の表面的な表現や印象でしか判断できないけど、それなりに人生経験を積んでいくと「その背景や素養」を想像することができる。
「変わった人たち」の「変」を、要素分解したり推察したりできるようになる。
あの人たちは「世間にわかりやすく」していただけで、それは教養や素養に裏付けられたものだった。
「変」や「クセ」や「当たり障り」を長年大事にし続けてきた人たちがそれぞれ独自の「文化」を生み出し、その文化を纏って生きることで世間はそれを「文化な人(=文化人)」と呼ぶのではないだろうか。
いや、「纏っていない」のかもしれない。
多くの人が「世間体」を纏うから、独自の文化を失う。
世間体に袖を通さず、独特の身なりで生きる人。
こないだ、とある人と話していて、「文化人ですね!」と言われた。
少しは近づいているのだろうか、「文化人」というものに。