「使い道がある」と「使い道がない」
これを聞くとどうしても、「使い道がない」ことは勿体ないことだとか意味の無いことだとかって捉えられがちだけれど、そもそも僕らは有り余る時間の使い道を探すことで生きているようなフシがある。
何事もなく普通に暮らしていれば、この便利な世の中では時間が余る。
その「あまった」時間を勿体ないと思い込んで使い道を探し、何とか有意義に使ったような気になったり、その時間を全部お金に変えてしまって「余裕がある」なんて言ったりしている。
ここ最近考えているんだけれど、その使い道のない「あまり」を弄んでいることのほうがよっぽど「余裕がある」状態なんじゃないのかなぁと。
その「あまり」に固執せず、簡単に人に譲ったり貸し借りができる。
そんな「あまり」こそが本当の余裕であり、「あまり」を融通できる関係性こそ、僕らが求める本質的な繋がりなんじゃないかって思う。
それぞれが全部使い切ってしまうような暮らしでなく、お互いのあまりを融通できるような暮らしと繋がり。
あまる生活、そろそろ始めてみませんか?