優柔不断


 

これまでの人生を思い返すと、大事な局面になればなるほど誰にも相談せず自分で決めてきました。

 

生まれ持った性格なのか体験によるものなのか、「自分のことは自分で決める」っていう気持ちが強いので、迷ったり悩んだりすることはほとんどなく、サクサク決めてどんどん進んじゃう。

 

 

喫茶ピーコックのことも日々のオペレーションはともかく、芯の部分はずいぶん先まで決めています。

 

 

 

ところが、「組織やチームや集団」となるとそれは少し違うなぁと思っていて。

 

 

 

たとえば自分が「A」を進めたいと思っていたとして。

 

理詰めや話術で周囲を巻き込んでいくのは簡単です。

そういうのがそもそも得意だし、筋道立てて論理的に説いていけばAまでの距離は縮まるはず。

 

でも、集団となるとそれぞれの考え方や意見もあるし、なによりも温度感が大事なんですよね。

 

 

その場にいる人みんなが「その場にいる」と実感できたり、その意義を理解できたり。

自分にもボールが回ってくるんじゃないかという期待感や、発言が否定されない安心感。

 

 

チームスポーツと同じで、一人だけが大活躍して勝っても意味ないわけです。

 

 

 

 

一刻も早く何かを決めなくちゃいけない場面や、その場が右往左往してしまっている状態の時。

 

多少強引にでも、僕は引っ張ります。

 

なんなら少し嫌なヤツになります。

 

 

 

でも、周りの意見を聞きたい時や、それぞれが伺いを立てているような時は、なるべく「優柔不断」でいるようにするんです。

 

 

 

「いやー、まぁねぇ。。難しいですよね、それって。。。」

「別に急ぎってわけじゃないんですけどね、ぼちぼちでも良いっていうか、、、。」

「あー、たしかに。わかる気もします〜。」

 

 

 

そんな感じでふらふらしていると、頼りないのか諦めたのか、周囲が少しづつ前に進めようとします。

自分の言葉で話したり、話を要約したり。

新たな役割が生まれたりもします。

 

 

 

そうなると僕はもう「A」なんてどうでもよくって。

 

 

 

 

多少の折り合いや融通があったとしても、「みんなで決めたんだから」っていう納得感が全体に響けばいいなと思うんです。

 

 

「あの人が言ったからなぁ」

「言ってもしょうがないし」

「勝手にしたらいいわ」

「どうせ変わらんやん」

 

 

「責任者に従う」ような方法ではそれぞれの主体性は生まれません。

 

 

「言うてみるもんやな」

「俺が言ったんやで、あれ」

「今度は逆でやってみよう」

「ちょっと考えてみたんやけど」

 

 

 

 

組織やチームや集団とはいえ、個人の集まりです。

 

誰がハンドルを握るのか?ではなく、「それぞれが自分のハンドルを握りつつ、目指すべき方向は同じ」っていうのが理想。

 

 

 

 

そのためには「優柔不断」もご愛嬌。

 

若い頃は考えもしなかったなぁ。