こないだ、とある団体の会合に出席したんだけど。
僕がウーロン茶を飲んでいると、後ろからおじさんが僕の肩をポンと叩いて「おー、君はなぁ、期待はずれやったなぁ、期待してたのになぁ。」と言いながらグラスにウーロン茶を注いできました。
僕がもうすでにおじさんなので、この場合は正確に言うとおじいさんなんだけど、ようはあんまり話が合わなかったんですよね。
過去にも何度か話し合いの場を設けようとしたんだけれど、どうも折り合いがつかなかったようで。
時代の価値観ってやつですね。
僕はこういうこと言われるの慣れてるので、「はー、どうも。」とだけ返しておきましたが。
で、前々から薄々気づいてたんだけど。
僕、なんでか期待されがちなんですよね。
別に偉そうに言ってるわけじゃなくて、変な勘違いや誤解がよく起こるってことね。
見た目や雰囲気や話し方やメガネとかなんかそういう備品一式が「物腰柔らかで献身的な良い人」を醸し出してるんですかね、きっと。
だからこういった場面では「任せて安心」だとか「うまくやってくれそう」とか「次はこの人だ」みたいになりがちなんだけど。
でも、この「一生懸命を笑えブログ」を読んでいるようなコアな人にはわかると思うんだけど、僕って全然そんなことないわけです。笑
やりたくないことはやらないし、行きたくないとこには行かないし、人の好き嫌いは激しいし、大勢は苦手だし、言いたいことは言うし、やりたいことはやるし、飽きたらすぐ辞めちゃうし、欲しいものは欲しい。
自己犠牲なんて程遠いし、自分のこと大好きだし、天邪鬼だし、したたかだし、先読みするし、逆算するし、算段するし、敵に回すと嫌なヤツです。
ただ、自分が熱中できることや夢中になれること、信じる世界を作ることや大好きな人を守ること、群れを守ること、不条理や理不尽に対しての攻撃力や守備力。
僕のことをよく知る近しい人にとっては「長編映画版ののび太とジャイアン足したような感じ」くらいなんじゃないでしょうか。笑
だから、あまり関わりのない人がイメージだけで期待しちゃうと「期待はずれの人」になっちゃうんですね。
勝手に聖人君子みたいに思われても困るんだけど。
そもそも「期待」って、とある誰かにするもんなんですかねぇ?
僕はきちんと関係性のある人や信頼できる人に「任せる」とか「信用する」ことはあっても、漠然としたイメージだけで「期待する」ことはないです。
変な話かもしれないけれど、「期待する」って無責任じゃないですか?
一方的なイメージで期待しちゃうから、自分の思い通りにならなかった時に相手に対して「期待はずれやな」とか言い寄ってウーロン茶を注ぐわけです。笑
でも、「任せる」とか「信頼する」って相互信用の関係性の上に成り立っているので、もし思うようにいかなくっても自分に返ってきますよね。
そっちのほうが精神衛生上いいっていうか。
僕は、自分自身には期待もするしプレッシャーもかけます。
人を頼ったり、任せたり、信頼したり、お世話になったりもしまくってるんだけど、他の人にむやみに期待したり勝手なイメージで判断したりはしません。
芸能人のゴシップに突っ込み入れる人ってきっと、期待とイメージなんでしょうね。
なのでみなさん、僕に期待しないでください。
信用したり信頼したり任せてくれるのはありがたいですが、ご自身の判断で。笑
僕は僕の信じる世界を作ることに一生懸命です。
熱中できて、夢中になれて、力が溢れる瞬間をずっと探しています。
そんな旅の途中、どこかで出会ったらお話ししましょう。
僕は僕の道、あなたはあなたの道があるはずです。
もしも行き先が似ているのなら、途中まで一緒に歩いていきましょう。