それはただの気分さ


 

自分にとって本当に大切なものは人にあまり触られたくないという気持ちと、でも僕は「とある誰かが本当に大切にしてきたもの」に触れることでたくさん救われてきた。

 

たくさんの人に伝わる仕掛けを考えることも好きだけれど、その仕掛けにそれを乗せることは、大切に扱うことや大切に扱ってもらえることなんだろうか。

 

 

ほんとうに丁寧に、大切に、歌われる歌が、まだ知りもしない誰かを救うことにはなり得るのかもしれない。

 

実際、僕はそうやって救われてきたのだし。

 

 

 

実用的で具体的で大衆的なことも世の中には必要だし、そういったものはわかりやすくて使いやすい。

 

 

でも僕は、抽象的で感傷的で個人的なものが好きだ。

「誰にもわかってもらえない大切なもの」こそが美しいと考える。

 

 

その、何の役にも立たないような個人的かつ抽象的なものが僕らの芯を支えていると思う。

 

 

フィッシュマンズの佐藤伸治は「誰にも会いたくない顔のそばにいたい」と歌っていて、そしてその後にすぐ、「それはただの気分さ」と言った。

 

 

静かに、丁寧に、大切に綴られた言葉を、まっすぐに届けたいと思う。

手紙を綴るように、言葉を紡いでいきたい。