少し前に映画を観た。

 

純朴で誠実な男のドキュメンタリーで、観終わった後にそのまま日常に戻るのが惜しく、少しあたりを散歩しようという気になった。

 

高架下を抜けて商店街のアーケードが続く通りは、かつて僕が頻繁に出入りしていたライブハウスがあった場所だった。

 

 

 

 

あの頃は身の程知らずで丸裸で、自分を守る方法も知らず、世間との折り合いもつかなかった。

そんな当時の自分と映画の彼を重ねていたのかもしれない。

 

確かこの辺りだったと思うんだけどと、当時の記憶を頼りにライブハウスを探した。

 

 

 

 

狭いビルの細い通路、地下へと続く階段は防音のために暗幕で仕切られている。

その暗幕の奥に小さな明かりがあり、階段の途中に「もぎり」がいる。

 

やっとその場所を見つけ出した僕はつい嬉しくなって少し昔の話をし、イベントのチラシやスケジュールを貰って帰った。

 

 

 

 

帰りの電車に揺られながら、ドキュメンタリーが日常に溶けていく。

 

仕事帰りのサラリーマンやTikTokで踊っているような女子を見るたび現実に引き戻されていく。

 

さっきのチラシをパラパラと捲る。

 

 

AIの時代だと言われているなか、黒マジックで手描きした原版をコンビニでコピーしたようなチラシ。

 

見慣れない名前のアーティストやバンドが剥き出しの自分を晒しながら、真っ向から表現している。

 

 

 

 

さっきの映画とも相まって、懐かしさと憧れが入り交じったような気持ちになった。

 

やりたくないことをしているわけでもないし、どちらかと言えば自由に生きているほうだと思う。

 

ただ、彼らと比較すると、20代の時に広げた風呂敷を程よく畳んだ自分の折り目が気になる。

 

逆に彼らが放つ、洗い晒しで広げっぱなしの「皺(しわ)」のようなものに色気を感じるのだ。

 

 

 

 

チラシの中に懐かしい名前があり、まだステージに立っていたんだと嬉しくなって帰ってからSNSで検索してみた。

 

どうやら彼は最近バンドを結成したらしく、当時とは名前も違うけどライブもしているようだ。

 

ほどなくライブ映像を発見し、その動画を再生した5秒後に僕は20年も遡ってしまった。

 

 

 

 

当時と同じ色のギター、音色、そして巻き舌。

 

何よりも、特徴的なハイの効いたミュート音。

 

 

「ジャキッ!」

 

 

という、その1発でやられてしまった。

 

 

 

 

折り合いを付けるのが恥ずかしいことだとは思わない。

 

人が生きていくなかで、それぞれが自分でデザインした線を引く。

 

そしてその輪郭こそが、人生とも言える。

 

 

ただ、洗い晒しの自然さと体の癖で出来上がった皺は独特で、しっかりとした折り目なんかなくても、渾身の一撃で人を20年くらいぶっ飛ばせるのだ。

 

 

そういえば、映画の彼も「しわしわ」のTシャツを着ていたな。