毎日のように卵と戯れている。
ゆで卵、溶き卵、つぶし卵、目玉焼き、オムレツ。
長年これだけ触れていると微妙な大きさの違いなんてすぐに分かるし(10個入りパックでも個体差がある)、たまにめちゃ尖ったのを見つけると勝手にシンパシーを感じている。
とはいえあまりにも個体差が大きいとお客さんにとっては不都合だし(当たり外れ的な)、お店としては一定に基準を求められたりもする。
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もうずいぶん前の話だけれど、ゆで卵の殻が剥きやすいものとそうでないものがランダムに発生したことがあって、それとなしに卵屋さんに聞いてみたことがある。
「すんません、同じパックなんですけど、殻が剥きやすいのとそうでないのがあるみたいなんですよね。」
「あー、それね、鳥によるんです。」
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もう、めちゃくちゃに反省した。
業務上あまりにも触りすぎたことで、僕は卵を「製品」だと思ってしまっていたのだ。
卵は「生きものから生まれた、生きもの」
僕やあなたがそうであるように、それぞれに少しずつ違う。
その違いですら、それぞれに違う。
100個あれば、100通りの卵ってことだ。
工業社会、規格社会の弊害をモロに受けた自分を恥じながら、自分も含め全員に規格なんてないんだと再認識した。
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客商売をしていると、めちゃくちゃ癖のある人も来る。
ちょっと理解しがたい行動をとる人もいる。
でもそれは「鳥による」ように、「人による」のだ。
もちろん何でもありではないけれど、卵のことを思い出すたびに、心が寛容になっている気がする。