ドンツキまで行く


 

 

2024年9月現在、喫茶ピーコックは「ごはん」をストップしている。

カレーもハヤシもオムライスも、ひと休み。

 

なぜなら、「令和の米騒動」といかいうやつで、お米が売っていないのだ。

 

ネットではあれこれ憶測も飛んでいるし、まぁそういうものは横目に見つつ。

 

僕のような一般庶民には経済の裏側なんて知るよしもないけど、とりあえずまぁそういうことなんだな。

 

 

コロナの時にも思ったけど、抜け駆けしたり奪い合ったりするくらいなら死んだほうがマシだし、とにかくそういうのはみっともない。

 

できるだけ、かっこ良く生きていたい。

 

そんな時に釈迦は言う。

 

 

「執着を捨てなさい」と。

 

 

そんなわけで片手を封じられた状態で、済し崩し的に純喫茶。

 

パンとコーヒーのお店になったわけだ。

 

 

でも、こういう外的要因での強制力は実は使える。

 

だって、「仕方ない」んだもの。

 

これまでもコロナの時には座席数や営業時間をあれこれ変更したり、年始のドタバタ時にもメニューを縮小したりしてきた。

 

 

「こういう状況だから仕方ないんですよね、すみません」と頭を下げながら、思いっきりやりたい放題。

 

ここぞとばかりに社会実験。

 

トライ&エラーで経験値を爆上げするのだ。

 

 

実際に、ごはんがなくなったことで仕込みや朝の準備がほとんどなくなった。

 

片付けも減ったし、仕入れも減った。

 

もちろん、売上も減ったけど。

 

そのぶん心身共に余裕ができたので、これまで気にしていたけど届かなかった「ホットサンド」を試作してみたり、テイクアウトコーヒーについて考えたり、ネット販売のアイテムについて考えたりもした。

 

パンとコーヒーのお店のゆったりオペレーションを体験できたのも良かった。

 

 

こういう時に僕はいつも、「ドンツキまで行こう」と決めている。

 

その場しのぎの臨時営業ではなく、可能性を探ったり、未来像を擬似体験できるくらい、目的を持って行動する。

 

 

ホットサンドはあれこれやってみたけど、あまり見通しが良くない。

営業時間を17時までにしたのは良かった。

純喫茶オペレーションは余裕があっていいけど、売上が立たない。

 

でもそのぶん、別の業態に充てる時間ができる。

コーヒー豆の焙煎や販売の巻き取りも想像した。

 

 

もう少ししたら新米が流通するだろうからこのイレギュラーは終わってしまうけど、とても有意義な時間だった。

 

とにかく、やると決めたらドンツキまで行く。

 

 

壁際まで行かないと明るいか暗いかもわからないから。