決断


 

自粛だ自粛と言ってしばらく休んでたけど、これはこれで良かった。

というか、たぶんそうなんだろうなということがしっかりとつかめた感じがする。

 

 

日頃から「はたらくということ」だったり「時間の使いかた」については考察を続けているんだけど、そのぶん「自分に時間を使う」ということをあまり意識できていなかったのかもしれない。

 

たとえば「本を読む」ということは一見「自分時間」に思いがちだけれど、そこで得た知見をまた何かに活かそう(はたらきに変えよう)と思うと意味合いは変わってくる。

 

 

 

もっとこう、シンプルに、自分のためだけに時間を使う。

 

ようは、「自己満足」だとか「悦に入る」とかそういうこと。

 

 

 

 

 

「誰のためでもない、自分のためだけの時間」はインターネットとの相性が良くないように思う。

 

こうやって書いている文章も、ネットで公開することを前提に書いているのでそれなりの意識はある。

 

 

でも、ちょっとしたノートや手帳に想いをしたためるという行為は「見せる」というよりも、「整える」だったり「仕舞う」ことのように思う。

 

 

 

 

 

発信、拡散、共有、受信。

 

どれをとっても僕らの処理能力はとうに超えていて、判断や取捨選択に多くのメモリを割いているに違いない。

 

 

 

できることと、できないこと。

 

やりたいことと、やりたくないこと。

 

 

 

選ぶ前に、決める。

 

決めきれないから、選ばなきゃいけなくなる。

 

 

 

 

決断とはつまり、「決めて、断つ」こと。

 

 

 

「決める」にばっかりを意識しがちだけれど、「断つ」ほうが難しい。

 

うまく「断つ」ことができる人こそ「決める」ことができて、その純度を上げることができるのだと思う。